森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

ヘンデル 《アドメート》

管弦楽:ゲッチンゲン音楽祭管弦楽団
指 揮:ニコラス・マギーガン
出演:
アドメート=ティム・ミード
アルチェステ=マリー・アーネット
アンティゴナ=キルステン・ブレイズ
トラジメーデ=デーヴィッド・ベイツ
オリンド=アンドルー・ラドリー
エルコーレ=ウィリアム・バーガー
振付, ソロ・ダンス:遠藤 公義(ただし)
舞踏:マム ダンスシアター
演出:ドーリス・デリエ
収録:2009年5月28日, ドイツ劇場 (ドイツ・ゲッチンゲン)
NHKの放送を録画視聴)

《アドメート》は1727年にロンドンで初演されたヘンデル42歳の年のオペラです。
ヘンデルは1712年にイギリスに移住しこの1727年には帰化しましたからもうイギリスの人となっていたと考えられますが、イタリア語のオペラです。

ドイツ生まれでイタリアに学びイギリスに帰化したヘンデル。そのヘンデルを日本趣味で上演します。

良く知られたオペラではないのでストーリーを紹介しておきましょう。
スクリーンショットを見て「なんだこれ?」と思うでしょうが演出については後で触れるので順を追って見ていただきたい。



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テッサリア王アドメートの病床を妻のアルチェステが見舞っていますが、突如天の声が響き親しきものの命と引換にアドメートの病が癒える、というのです。

イメージ 2アルチェステは命を投げ打ちアドメートは壮健となります。

イメージ 3アルチェステの遺書を読むアドメート。
惨劇の場が赤い布を徐々に広げて行くと言う日本的な手法で表現されます。

イメージ 4アルチェステの自己犠牲を知ったアドメートは嘆き、腹心のエルコーレ(ヘラクレス)に冥界へ行って妻を連れ帰るよう命じます。
エルコーレは力士の姿で勇猛さを表現しています。

イメージ 5一方かつてアドメートの許嫁であったアンティゴナは未だに彼を想い続けています。
そしてアドメートの弟トラジメーデはアンティゴナを想っています。

この演出では想い人を能面の垂れ布で表現しています。

イメージ 6エルコーレは冥界で亡霊に取り憑かれているアルチェステを奪還します。

イメージ 7帰還したアルチェステはしかし夫の貞節を見届けるために兵士の扮装で身を隠します。

エルコーレからアルチェステの奪還に失敗したと聞かされたアドメートにアンティゴナが想いを告げ、アドメートは心が揺れます。
トラジメーデはこれを見て兄を亡き者にしようと決心します。

イメージ 8己の嫉妬心と対峙するアルチェステ

・・・

そして迎える大団円。


全編、歌詞も音楽も封建社会の中の愛を反映しとても行儀が良くしんみりとしています。
全員が切々と愛を語り、恋敵を罵ることがありません。
そして大団円のセリフは
『心が満たされていれば、もはや何も熱望しない』
です。
モーツァルトロッシーニ以後は体制に対する反骨や愛の激情に打ち負かされた節度や良心や克己心がここでは愛や欲望とバランスを取っており、現代人として気持ちを切り替えること無く共感できるシナリオです。

冥界から帰還したアルチェステとアドメートの愛を祝福するアンティゴナ
自分を殺害しようとした弟トラジメーデを許すアドメート
トラジメーデの愛を受け入れるアンティゴナ
全員が等しく宝物を得たという素晴らしい大団円です。

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とても爽快なエンディングです。
重苦しい封建社会のムードと奇怪なダンスが、このエンディングの幸福感をより際立たせています。

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ドーリス・デリエ
この人がどんな人なのかわかりません。ですが余程日本びいきであることは間違いないでしょう。
良く見受けられる異国情緒や気を衒って日本趣味を持ち込むのとは全く違います。

私は能や歌舞伎も良く観るのですが、この人も日本の伝統芸能を良く見ていることは随所に見て取れます。

例えば所作です。
片刃で湾曲した刀は西洋では一般的ではありません。両刃の剣に慣れた西洋人には馴染みのない動作のはずです
刀を抜くとき左腰を引いて右肩を前に出す仕草など実に堂に入ったものです。腰を落として刀を水平に構えジリジリと回転して周囲を牽制する動作は西洋の剣劇には無いものです。
書状の受け渡しや抜き身の刀を主君に返す動作。その時の腕と手のひらの返り具合など、昨今の若手俳優では見られなくなった《日本の所作》を実にしなやかに演じています。
余程練習したのでしょう。流れの中で自然に演じています。

どこかで見た構図や所作もありますが、能の空気感を感じながらの演出であると感じます。
特に今回の話は現世と冥界を行き来し冥界の魂を連れて帰るなど、能の幽玄が良く合うシチュエーションです。

このような立ち姿を久しぶりに見ました。
この人は日本の所作の美を理解しています。逆に日本人はそれを軽んじているのではないでしょうか?

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蝶々夫人をこの人が演出したら、あんなゴッツイ日本娘にならないと思います。いつか是非お願いしたい。



ロダンスと振り付け担当したのがTADASHI ENDO氏。
氏に加えて森の動物達や冥界の亡霊などを演じるのが、MAMU DANCE THEATREとなります。
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ここでまた驚いたのですが、彼らは日本でも一時期騒がれた《山海塾》や《白虎社》と同じ、暗黒舞踏の一派のようです。
メンバーを見ると東洋人も西洋人も混じっていますし、TADASHI ENDO氏はヨーロッパを活動拠点としているようなので、日本で余り見られなくなった暗黒舞踏は今ヨーロッパで着実に活動しているようです。

TADASHI ENDO
TADASHI ENDO & MAMU DANCE THEATRE



アドメートとトラジメーデはカウンターですが、アドメートのティム・ミードは安定感があり切々とした歌を大変感動的に歌っていました。
トラジメーデのデーヴィッド・ベイツは、ドミニク・ヴィスをもっと泣き声にしたような歌い方です。役には合っているのですが、普段からこのような歌い方なのかはわかりません。
アルチェステのマリー・アーネットとアンティゴナのキルステン・ブレイズはともにチャーミングな歌い方で、秘めた強さや弱さを良く表現していたと思います。ヘンデルの走句を巧みにというよりは柔らかく歌っていました。

オーケストラはヘンデルらしさは満点でしたが、テクニック的に今ひとつだったと感じます。指揮者がよくリードしたという印象です。


ヘンデルが良き音楽であることはわかっていましたが、楽しく感動的であることを初めて身にしみて感じました。
たいへん大きな収穫でした。

カーテンコールはやんやの大喝采で、私も部屋で一人その中に混じりました。

[2010-2-17]