森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

ショパン:プレリュード集 イリーナ・メジューエワ

イメージ 1ショパン:プレリュード集 イリーナ・メジューエワ 
ショパン
24のプレリュード集 作品28
プレリュード 変イ長調(遺作)
ピアノ:IRINA MEJOUEVA イリーナ・メジューエワ
 
録音:2009/10/14-15 新川文化ホール(魚津市

メジューエワの《前奏曲》は前回の録音からちょうど10年目の再録音です。
彼女の驚異的な進化と前回の非凡な内容から考えて、とても楽しみです。

第1番 Agitato
前奏曲》を聴き始めるときは、最初から集中力とスピードへの追随力を全開にしておかないと第1番を聞き逃してしまいます。

重々しくリッチなサウンドで予感たっぷりに開始します。
その丁寧な導入から僅か1小節ほどで巡航状態に入り急き立てるような数小節で、この曲にとどまらず《前奏曲》全体に取り組む姿勢を示してくれます。
13小節から始まり21小節のffで頂点に達し25小節のpへ至る山。AgitatoでCrescendoに加え17小節にストレットが入るのですが、重めのサウンドと明確な音の粒立ちだからこそこの山とストレットが劇的な勢いを持って迫り来て収まって行きます。
25小節以後はコーダのように柔らかい膨らみを繰り返して優しく閉じて行きます。
この僅か1頁の譜面を忠実にかつダイナミックで豊穣で充足感を持って満たすのは大変なことです。
前奏曲集》の前奏曲になってしまう演奏も多いのですが、メジューエワは完成された一編として再現しています。

第2番Lento
あたかも左手が遠く右手が近くにあるかの如く遠近感が取れていて、もちろんこの遠近感は誰でもやっているのだけどこれが実に見事なのです。
いつもメジューエワの演奏に感じるのが4拍子がとてもうまいということです。
【強・弱・中・弱】
という基本中の基本で極めて当たり前のことなのですが、これが音楽性に息づいているのです。
こういうある種の慣性があらゆる揺らぎを際立たせる基盤になるのですから、彼女の雑に聴き流せば無個性な心地よい音楽、聞き耳を立てれば際限のない思念のテクスチャーがどう成立しているのか解ろうと言うものです。
そして現に、この譜面上は単調で鬱屈したように見える曲を弾き崩すことなく素晴らしいファンタジーに仕上げているのです。

第3番Vivace
チェンバロという楽器はタッチによる音量変化が不可能なため、リズム感を表現するために少し音価を短くし僅かに間を取るということをします。また達人になるとタッチの重なりとスピードを加減することで心理的に音量変化を感じさせることもできます。
私は古楽器教室のあるスタジオに数年間通っていたことがあるのですが、下手な生徒が弾くと曲の途中でどこからどこが1小節なのか、何拍子なのかわからなくなることがあるのですが、先生が弾くとそれが完璧で、ありえないはずの音量の山が心理的にではなく実際に聴こえてくる感じがしたものです。

バッハやスカルラッティを含めいろいろ聴いた結果私はメジューエワがその技を極めているのではないかと考えています。

この第3番にそれを聴くことができます。滑る事無く流れて行く。何といおうか?目にも留まらぬ高速回転をしていても何周したか数えられる様な感覚。

それに加えてこの曲では【和声を担うアルペジオ】と【スピード感を司るスケール】を左手とペダルのみで混合し両立させなければならない筈ですが、言うは安し。何というテクニックでしょう!



この3曲を聴けばもう十分、彼女がこの《前奏曲》にどれほど多くの内容を織り込んだか判ります。
あとすべき事は、こちらがそれを受け入れる準備を整え覚悟を決めて向かい合うことです。

初期の彼女の録音は押しなべて心の沈潜に伴ってテンポもサウンドも沈潜して、この個性に浸り込む事のできる聴き手には心地よいがそうでないと苦痛を催しかねない面があったと思います。
昨今の彼女は、放たれた響きが自ら語ること、コントラストがドラマを語ること、そして音で想念を伝えるためには自分の想念の吐露より少しだけ強めにしないと、聞き手の心を造形しきれない。
そういうことを自然に実践できるようになったと感じます。

簡単に言えば以前は独白のようであった演奏が訴えになりました。
あんなにスローテンポでなくてもぎっしりとつまった想いを十分届けられることが解ったようです。

そして大切なことは強いファンタジーと情念が全く失われていないばかりか、諧謔性と気品が増して、深く幅広い音楽になっていることです。

誰もがショパンに求める、余韻の重なりが詩情となって空間に波打つような感覚は以前の録音では乏しかったものですが、ここで十分に獲得しています。

ですから《最高の前奏曲の一つ》として誰にでも但し書きなしに勧められるものになっているのです。

彼女のピアニストとしての寿命はまだ何十年もあるというのに、この先いったいどこまで我々を連れて行ってくれるのでしょう?



[2010-2-7]