森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

ドン・カルロ ミラノスカラ座2008-2009オープニング

ドン・カルロ
ミラノスカラ座2008-2009オープニング 初日公演

合 唱:ミラノ・スカラ座合唱団
管弦楽ミラノ・スカラ座管弦楽団
指 揮:ダニエレ・ガッティ
演 出:ステファヌ・ブロンシュウェグ
収 録: 2008年12月7日, ミラノ・スカラ座
出 演:
フィリッポ二世=フェルッチョ・フルラネット
ドン・カルロ=ステュアート・ニール
ロドリーゴ=ダリボール・イェニス
大審問官=アナトーリ・コチェルガ
修道士=ディオゲネスランデス
エリザベッタ=フィオレンツァ・チェドリンス
エボリ公女=ドローラ・ザジック
NHKの放送を録画視聴)

シンプルで象徴的な舞台・演出

ミラノスカラ座2008-2009年シーズンの開幕公演初日の記録です。
ただしこの年は数日前から若い人限定でプレオープニングが低料金で開催されたそうです。

衣装は史実に即した豪華なものですが、舞台装置はシンプルで抽象化されたものです。大道具は演台だけとか、椅子が一客と蜀台とか、能舞台のようなものです。

演出にも抽象性を導入しているようで、第1幕第1場と第2幕第1場の幕引きのドン・カルロとロドリーゴ、第2幕第2場・第3幕第1場・3幕第2場の幕開けのフィリッポ二世とドン・カルロが全く同じ姿勢です。

そして、とにかく役者が動きません。愛を語るときも友情を語るときも、両腕を脇にそろえて棒立ちのままということが多いのです。リサイタルでももっと動くのでは?
離れて正面(客席)を向いたまま会話する位置取りなどと相まって、どうも私はこの演出にはお能を見ている感覚を覚えます。

それぞれのキャストについて

タイトルロールのステュアート・ニールは完全な肥満体できちんと舞台上を動けるのか心配になるほどです。私はこういう人をいくら歌が良くても”役者”として容認できません。
声も節回しも破綻無く上手く甘いファルセットも出せるのですが華麗な声ではなく、エネルギーはあるけど情熱の息衝きが感じられませんでした。 本来第2キャストだったそうですが、第1キャストのジュゼッペ・フィリアノーティはそんなに不調だったのでしょうか?

イメージ 1友情と忠心を命を以って示そうとするロドリーゴ
 
一方ドン・カルロは太っていた。じゃなく逃亡の決意を・・

ロドリーゴのダリボール・イェニスは滑らかで心地よいバリトンロドリーゴには合っていたと思います。ただドン・カルロとのコントラストがあまり無く、義のロドリーゴと情熱のドン・カルロコントラストが薄いと感じました。

フィッリッポ二世のフェルッチョ・フルラネットは王であるにもかかわらず治世の乱れを抑えきれない焦燥や、より大きな権威によって息子に極刑を言い渡さざるを得ない苦悩などが強調された演技演出です。
どことなくヴォータンを彷彿とさせます。ゆったりとしたバスがこの懊悩を非常に良く表わしており、このプロダクションのベストキャストだと思います。
ヴォータンと言えばドン・カルロも情熱に身を任せ自滅してしてしまうのがジークフリートと重なります。

イメージ 2全体的にドン・カルロの情熱より王の苦悩が強調された演出です。
王はいつも頭を抱えている印象です。

そして立ち位置を自分で決められない女性たち。

エリザベッタのフィオレンツァ・チェドリンスは所々で目覚しい技量を披露してくれましたが、静的な演出・安定感のある演奏のため存在感を際立たせるところまでは達しませんでした。

エボリ公女のドローラ・ザジックが結局はメゾソプラノでありながら一番きらびやかで起伏のある歌を披露してくれた様に思います。

イメージ 3エリザベッタに対する嫉妬から陰謀を企てるも、良心を完全に失ってはいません。
だからこそ、ここでも悲しみの連鎖が生まれます。

オペラ全体をレクイエムの様な物悲しさが支配する

愛・義・歴史、多くの輻輳する要素を客観視し特定の人物に感情移入しにくい演出が、人間よりももっと大きな力を描こうとしているように見えます。

既に没したカルロ五世の追想から始まり、最後もそのカルロ五世の亡霊によって連れ去られるドン・カルロ。劇中もカタストロフィーより、力を失った滅びを予感させるような演奏と演技だと感じられます。

第3幕第2場、フィリッポ二世が誤って殺害したロドリーゴに、「生き返ってくれ」と歌うアリアがレクイエムのラクリモーサの旋律です。
実際にはレクイエムの作曲はこれより後なのですが、私はドン・カルロのアリアとしてよりもレクイエムのラクリモーサとして頭に入っていますのでなおさら死者への回想や『回避不能な運命』という観念が強調されます。

《リング》のように滅びへ向かってしか進みようの無い登場人物たち、レクイエムのようなストーリーと音楽。
荘厳だけど物悲しいオペラに仕立てられています。
どんなに胸のすくような歌があっても、まるで平家物語を語る琵琶法師の歌のように物悲しさが根底に流れているような感覚を覚えました。

ガッティとミラノ・スカラ座管弦楽団は完璧な演奏をしていたと思います。
重厚さと華やかさのバランスをとった上で深く息の長い歌を聞かせていて、歌手陣よりも良く歌っていたと思います。

歌では第3幕のフィリッポ二世、同じくエボリ公女のアリアが白眉でした。

もっと壮大な対立劇が見たかったとの思いも残ります。

イメージ 4一番華やかなシーンでもこのような簡潔さです。

イメージ 5ドン・カルロとエリザベッタの回想は、子役を使って美しく演出されています。
これは非常に効果的でした。


[2009-11-28]