森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

劇団東演 ゴーリキー 《どん底》

イメージ 1ゴーリキー 《どん底
劇団東演
演出:ヴァレリー・ヴェリャコーヴィチ
2009-11-14
本多劇場

久々となってしまった劇団東演ですが、地方巡演の凱旋公演で本多劇場となれば行かないわけにはいきません。
(実は午後二時からメジューエワのコンサートだったのですが、千秋楽が満席とのことで・・。遅刻ギリギリでした)

それで復習のために原作を読んでみたわけですが(翻訳ですよ!もちろん。ロシア語は1年間勉強しただけですので)、あまりに戯曲の完成度が高いので期待と不安の両方を持って出かけました。

戯曲ではいろいろな出来事の合間に挟まってさほどクローズアップされてはいない、コストゥイリョフ・ワシリーサ・ペーペルの事件が話の骨格としてわかりやすく演出されていました。

役者の一人ひとりもものすごい熱の入りようで、すこし蜷川幸雄の演出を見ているように感じる時もありました。

ただいくつか感じた違和感の一つに、台詞の速さがあります。

ああいう状況の人々は、あんなに焦ったような早口でしゃべってはいないと思うのです。仕事もなく娯楽はカードだけなのですから。

私の推測ですが、演出家がロシア人ですので、ロシア語のスピード感やリズム感で演出した結果そうなったのかもしれません。日本人の倦怠感とロシア人のそれは違うのかもしれません。
演出家は日本語は全く分からないので読み合わせはなかったそうですし、立ち稽古でもトーンで表情を聞き分けての演出だったそうです。


この演出にはとても変わったところがあります。

まず舞台の木賃宿が地下の穴倉とされていますが、セットがチラシの上部にあるように二段ベッドが並んだ簡素なものです。
ライティングで奥行きを表現しています。
イメージ 3

次にクワシニャーとメドベージェフがロシア人俳優です。
日本語は喋りません。
クワシニャーは第一幕、メドベージェフは後半にかなり活躍しますからどうしてこうなったのか、不思議です。

聞くと、初回(1998年)に日本人だけで演じたときに、当然日本人の考える落ちぶれもののテイストだったのですが、演出のヴェリャコーヴィチ氏にとってはロシアの戯曲なのにロシアのテイストが無く、不満だったのだそうです。
それで二回目(2001年)からロシア人俳優が混ざることになったのだそうです。

あとは複数の他の劇団から客演が来ていることでしょうか。

7月から始まったこのプロダクションに客演・ロシア人、みな代役なしで打ち込み、地方も巡演して来たそうです。
地方では演劇用のジャストサイズの小屋ではなく大きな市民ホールなので、声が潰れ癒す間もなく演じてきたそうです。

私なりの誠意から正直に書くと、演出・演技・ロシア語の混在などがややちぐはぐに見えた面もあったと言っておきましょう。
前日に原作を読んだばかりなので、私の頭が固かった面もあると思いますが。

しかし演出家と役者の意地と創意が、激しいエネルギーで結びあった舞台で、充足感はたっぷりあったと思います。

イメージ 2選曲について。
音楽好きの特殊な感覚かもしれませんが、選曲が感心しません。
ジョン・メリック(エレファントマン)の曲やバーバーのアダージョ、キャバレーミュージックなどがコンセプトなく多分雰囲気重視で選曲されています。
私はそれぞれ確固たるイメージを持っていて、映像まで頭に出てきてしまうので、芝居の邪魔でした。
ストーリーよりも言葉が主体の演劇なのですから、極端なことを言えば私はBGMは全くなくてもかまわない、と思います。
演者自身、BGMと発声の音量調整にてこずったようです。

[2009-11-14]