森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

METライブビューイング 《蝶々夫人》

METライブビューイング 《蝶々夫人


前から行こうと思っていてなかなか果たせなかった《METライブビューイング》にとうとう行ってきました。

《METライブビューイング》はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の主要な演目を大スクリーン用に収録したものを、映画のように上映するものです。
あくまで舞台上演の収録であって、オペラ映画ではありません。

本日の演目はプッチーニの《蝶々夫人》です。
劇場は銀座の東劇

指揮:パトリック・サマーズ
演出:アンソニー・ミンゲラ
出演:
蝶々夫人パトリシア・ラセット
ピンカートン=マルチェッロ・ジョルダーニ
シャープレス=ドウェイン・クロフト
スズキ=マリア・ジフチャック


まずこの上演内容についてですが、とにかく出ずっぱりのラセットの驚異的なパフォーマンスが記憶に残ります。
とにかく何ら疲れも荒れもなく、最後まで集中力を持続して歌い続けたのです。

シャープレスのクロフトも渋くて、領事というより公明正大で良識のある紳士といった佇まいが声と演技に宿っていて素晴らしいものでした。

スズキは蝶々夫人にピタリと張り付いて出ずっぱりなのですが、このジフチャックも名脇役でした。彼女なしではこの演出は成功しなかったでしょう。

もったいないのはピンカートンのジョルダーニ。この人はすばらしい声の持ち主です。
輝かしい声はただ鳴っているだけで官能的で、その上フシ回しも絶妙です。
もったいないというのは出番が少ないからです。

演出で特筆すべきは、マリオネットの使用です。
ブラインド・サミット・シアター(Blind Summit THEATRE)というマリオネット劇団のパペットがピンカートンと蝶々夫人の子供を演じています。

本物の子供というのはオペラでも歌舞伎でもそうですがどうしても微笑ましく、かつ危なっかしくて、やや本筋から気を逸らされる感覚を覚えるものですが、このマリオネットは演技の完成度が高く集中させられるものでした。
それもそのはずでこの《ブラインド・サミット・シアター》と言うのは、日本の文楽とフランスのMarionette port??を元にアレンジしたものなのだそうです。
今回は文楽に非常に近く、黒子三人で非常に繊細かつ奥深い演技をしていました。黒子の姿は完全に日本のものです。
主使いが右手ではなく左手を担当していたので何とか文楽直伝ではないと判ったくらい文楽に近いものでした。

能面のような少年の表情が喜び・悲しみ・驚き・戸惑いなど多彩な感情を表現していて、しかもプッチーニのオペラに溶け込んでいるのが不思議でした。

蝶々さんの最後はちょっと曽根崎心中を髣髴とさせる和の様式美もほのかに感じられるもので、イタリア人の考える西洋とアメリカと妙な日本に中国系アメリカ人の美術が混ざりあって違和感満点の不思議な舞台なのですが、パフォーマンス的にもドラマ的にも何故か感動させられ魅せられる、優れた舞台だったと思います。
(蝶々さんの衣装が私には『おさんどんさん』に見えてしまいましたが・・)


そして、《METライブビューイング》というシステムについてですが、私は必ずしも成功しているとは感じませんでした。
劇場はいいのですが、音響はライブ感に乏しく自宅のオーディオを上回る満足感はありませんでした。
『ライブ』の標語からまさに歌劇場にいるようなすごいサラウンドを期待していたのですが、完全な前方定位で拍手シーンも音は前からのみです。
歌手をズームマイクで追ったのでしょうか?舞台上をいろいろな向きで移動している感覚にも乏しく、全てのシーンで同じような明瞭さに聴こえました。

撮影も寄りが多く、せっかく劇場なんだからもっと引きで舞台全体を観たい、というフラストレーションを感じます。

もし同じ演目が同じ料金でDVD化されたら、私ならDVDを選びます。
他の演目では録画ディレクターが違ったり違ったコンセプトなのかもしれませんが、あくまで今回の《蝶々夫人》での評価です。


しかし、日本の伝統芸能といい、市場の狭い芸能・芸術をサポートする松竹という会社には感謝の意を表します。


[2009-9-29]