CD 二つの『田園』 ベーム=ウィーン・フィル
二つの『田園』
実はしばらく私の中で 『冴えない演奏』 のリスト入りしていたこのNHKライブCD、なぜだか急に愛おしく思えるようになりました。
初めてこの曲に熱中したのは中学生の時で、テオドール・グシュルバウアー指揮の演奏でした。
それは、歪(いびつ)な精神生活を過ごす中学生には身の周りに全く存在しない安らぎと感謝の世界で、テープが擦り切れるほど繰り返し聴きました。
それは、歪(いびつ)な精神生活を過ごす中学生には身の周りに全く存在しない安らぎと感謝の世界で、テープが擦り切れるほど繰り返し聴きました。
そしてLPを買いに行ったのですが、そこで薦められたのがベーム・ウィーンフィルの1971年版です。あまりの鮮烈さにすぐに魅了されました。
しばらくしてグシュルバウアーに戻ると、ヌルくてボンヤリしていて活力も感じられなくなっていました。
しばらくしてグシュルバウアーに戻ると、ヌルくてボンヤリしていて活力も感じられなくなっていました。
・・・
あまりに世間が騒いでいるこの来日公演盤、ベーム・ウィーンフィルと言うことで気になって聴いてみると、冒頭の『つかみ』で乱れている・・
高校の音楽の授業でこの冒頭が何故こんなにも軽やかで柔らかく清清しいのかをアナリーゼして見せた私としてはとても見過ごせるものではありません。
以下全てが生ぬるく感じてしまったのです。
高校の音楽の授業でこの冒頭が何故こんなにも軽やかで柔らかく清清しいのかをアナリーゼして見せた私としてはとても見過ごせるものではありません。
以下全てが生ぬるく感じてしまったのです。
冒頭やっぱり乱れている・・が、なんと柔らかい音楽だろう。
『幸福感』という忘れかけていた穏やかな充実に満たされている。
『幸福感』という忘れかけていた穏やかな充実に満たされている。
第2楽章は楽園的な美しさに泣きそうになってしまう。
慌ただしくない、朗らかな第3楽章。
決して耳に痛くない、神の怒りではなく恵みの一つの形と思える嵐の第4楽章。
限りない安堵と感謝の祈りの第5楽章。
慌ただしくない、朗らかな第3楽章。
決して耳に痛くない、神の怒りではなく恵みの一つの形と思える嵐の第4楽章。
限りない安堵と感謝の祈りの第5楽章。
明日も明後日も休み。誰にも呼び出されない。そんな久しぶりの安堵感がこの演奏を理解できるゆとりをもたらしてくれたのかもしれません。
・・・
そして、1971年版を聴きなおしてみると・・
心身壮健・気力充実の朝、全ての美しさを味わいつくそう、とでもいうようなテンションの高さに驚きます。
純音楽としてのマクロもミクロも磨きつくした完成度と、表題性を表現しつくしたタイトさが、心を緊張させます。
ブラスの咆哮も生々しく聴覚が逃げ腰になろうとします。
心身壮健・気力充実の朝、全ての美しさを味わいつくそう、とでもいうようなテンションの高さに驚きます。
純音楽としてのマクロもミクロも磨きつくした完成度と、表題性を表現しつくしたタイトさが、心を緊張させます。
ブラスの咆哮も生々しく聴覚が逃げ腰になろうとします。
[2009-9-28]