森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

CD 二つの『田園』 ベーム=ウィーン・フィル

二つの『田園』

イメージ 1カール・ベーム
ウィーン・フィル
1971年
Wiener Musikverein Gro??er Saal
DG

イメージ 2カール・ベーム
ウィーン・フィル
1977年
NHKホール
Altus

実はしばらく私の中で 『冴えない演奏』 のリスト入りしていたこのNHKライブCD、なぜだか急に愛おしく思えるようになりました。

初めてこの曲に熱中したのは中学生の時で、テオドール・グシュルバウアー指揮の演奏でした。
それは、歪(いびつ)な精神生活を過ごす中学生には身の周りに全く存在しない安らぎと感謝の世界で、テープが擦り切れるほど繰り返し聴きました。

そしてLPを買いに行ったのですが、そこで薦められたのがベームウィーンフィルの1971年版です。あまりの鮮烈さにすぐに魅了されました。
しばらくしてグシュルバウアーに戻ると、ヌルくてボンヤリしていて活力も感じられなくなっていました。

その後ワルターを聴いても人間臭さが煩わしく、他にも録音・実演を含めいろいろな演奏に接しましたが、ベームウィーンフィルがあれば何で他が必要なのか?という気持ちでした。

・・・

あまりに世間が騒いでいるこの来日公演盤、ベームウィーンフィルと言うことで気になって聴いてみると、冒頭の『つかみ』で乱れている・・
高校の音楽の授業でこの冒頭が何故こんなにも軽やかで柔らかく清清しいのかをアナリーゼして見せた私としてはとても見過ごせるものではありません。
以下全てが生ぬるく感じてしまったのです。

しばらくお蔵入りになっていたのですが・・
ちょっと精神的に困っている友人がいて優しい音楽が聴きたいとリクエストされ、久々にこれを取り出してみました。

冒頭やっぱり乱れている・・が、なんと柔らかい音楽だろう。
『幸福感』という忘れかけていた穏やかな充実に満たされている。

第2楽章は楽園的な美しさに泣きそうになってしまう。
慌ただしくない、朗らかな第3楽章。
決して耳に痛くない、神の怒りではなく恵みの一つの形と思える嵐の第4楽章。
限りない安堵と感謝の祈りの第5楽章。

穏やかだけど間延びが感じられず、急(せ)く気にならない。力に満ちているが決してやかましくない。そんな《田園》です。
初めて全曲に熱中したあの時代の感興がまざまざと蘇ってきました。

明日も明後日も休み。誰にも呼び出されない。そんな久しぶりの安堵感がこの演奏を理解できるゆとりをもたらしてくれたのかもしれません。

・・・

そして、1971年版を聴きなおしてみると・・
心身壮健・気力充実の朝、全ての美しさを味わいつくそう、とでもいうようなテンションの高さに驚きます。
純音楽としてのマクロもミクロも磨きつくした完成度と、表題性を表現しつくしたタイトさが、心を緊張させます。
ブラスの咆哮も生々しく聴覚が逃げ腰になろうとします。

もう、この1977年NHKライブに身体が順応しきってしまったようです。
ベームの体臭の薄さとウィーンフィルの天国的な美しさが理想的に昇華した名演です。


[2009-9-28]