森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

マーラー:歌曲集 ブーレーズ・ウィーンフィル


イメージ 1さすらう若人の歌
  トマス・クヴァストホフ:バス-バリトン
リュッケルトの詩による5つの歌曲
  ヴィオレッタ・ウルマーナ:ソプラノ
亡き子を偲ぶ歌
  アンネ・ゾフィー・フォン・オッター:メゾ・ゾソプラノ
オーケストラ:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ピエール・ブーレーズ
録音:Vienna,Musikverein,Grosser Saal 2003年6月
ドイツグラモフォン


マーラーの複雑さ

マーラーの楽曲で、オーケストラのサウンドはまるで印象派の風景画のように様々な色合いがある時は緩やかに、ある時は唐突にあらゆる変化を示します。
部分部分を見ると「きれいな色」というだけで、何を描いたものかわからないけど、全体を見渡すと見事な構図と奥行きを持っていることが判ります。
それを理解した上で私たちは、マーラーの全体や細部を、雄大な山脈を仰ぎながら小径の落ち葉に視線を落としたりするように、大自然と人生をさすらうことになるのです。

曲は時に楽しい旋律と悲しい旋律が同時に鳴っていて、さらにそのバックで自然を表現する雄大サウンドが展開されていたりして、聴く方の心の整理が大変な場合があります。そんな部分で指揮者は聴衆以上に大変な配色のコントロールを強いられているに違いありません。

ブーレーズの『交通整理』

ブーレーズは『交通整理の達人』などと評されたりしますが、これは決して交差点のストップアンドゴーのような生易しいものではありません。
このCDから聴き取れる通り、まさに画家の筆致さながらに旋律とハーモニーと音色の変化の綾を意図通りにコントロールしています。

このように言葉で評価すると明晰一辺倒のように解釈されてしまうかもしれませんが、曖昧模糊とした部分はその曖昧さの度合いもコントロール下に置いていように思えます。

コントロールが効きすぎていて情感が不足しているという指摘もあるようです。
このようなアプローチだから、燃え上がるようなエモーションを注ぎ込む余地がないのかもしれませんが、私はそうは思いません。

音楽の四原色?

喜怒哀楽が交互に全開で現れるような単純な音楽をブーレーズが志向していないのは明らかです。
色には三原色があって全ての色合いの元になっていますが、感性は喜怒哀楽という感情の四原色では到底表現できないと私は考えています。
懐かしさ・諦め・爽やかさ・嫉妬・エキゾチズム・きちっとした感じ・とっちらかった感じ、雄大さ、せせこましさ。
音楽は感情を超えた《感性》を表現できます。

マーラーの音楽はそれらの複合体の最たるものです。しかし、根底に強い喜怒哀楽が宿っているのでバーンスタインのアプローチが成功できるのでしょう。
しかし私はブーレーズのアプローチも支持します。ブーレーズは感じたことの無い感性、見たことの無い色合い、行ったことのない土地へ連れて行ってくれます。
また、こちらの心の感度を高めてくれるようにも思えるのです。

クヴァストホフが抜きん出る

歌手の中ではクヴァストホフが抜きん出ています。
彼はその身体のために、我々には計り知れない絶望と辛苦の人生を生きているはずです。
声を自慢するためのパフォーマンスを彼がするはずがありません。ブーレーズに何の遠慮をせずとも、精緻かつ伸びやかな歌唱で共に素晴らしい音楽を作り上げています。

ヴィオレッタ・ウルマーナは素晴らしく繊細でブーレーズのアプローチにも合っていますが、すこしだけブーレーズに合わせようとして窮屈そうに聴こえるのは私の思い込みでしょうか?もう少し演じてもよかったのでは?

オッターはいつも通り演出たっぷりの巧みな歌いっぷりですが、心が折れかけた男の歌に没入しているというより、一歩引いた語りべのように感じます。歌詞は子供を失ったリュッケルトの一人称で書かれているのですが。

絶品のウィーンフィル

ウィーンフィルは素晴らしいとしかもう言いようがありません。まるで巨大な室内楽のようにニュアンス豊かに歌を奏で色彩を描いています。暗闇に曙光がさすような表現は絶品です。
希望と絶望を行き来するマーラーの音楽にウィーンフィルは本当に合っています。

[2009-7-18]