森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

シベリウス 交響曲第八番



私はあの神秘的な交響曲、第六番と第七番でシベリウス交響曲は見事に完結していると思っています。
特に第七番は、地上での仕事を全てやり遂げ終にトゥオネラ(東洋人としては冥府とか涅槃のようなイメージのある)に旅立ったかのような、次の行き場が考えられない昇華しきった終結です。
(この終結だけをとりあげた場合、ベルグルンド・ヨーロッパ室内管が理想的です)

この後で第八交響曲を書けと言われても、シベリウスはずいぶん困ったに違いありません。それとも私たち凡人の及ばない創造力で着想を膨らませていたのでしょうか?

何度か完成したとか、燃やしたとか・・ハードルが恐ろしく高いのをシベリウス自身感じていたようです。

NHKの番組でフィンランドの作曲家ラウタヴァーラが証言しています。

「1942年に完成していた交響曲第八番の総譜を燃やした」

1942年にはラウタヴァーラさんは14歳のはず。後にアイノ夫人から聞いたのでしょうか?
どちらにせよ、8番のスコアを燃やしたのは確かのようです。

シベリウス交響曲はそれぞれが個性的で次作への流れや繋がりがあまり感じられません。
どんな曲だったのか・・まったく想像できません。
最後の交響曲が凡作という例はあまりないので、想像を絶する神がかり的な曲であったのだろうという、思慕の念だけがつのります。

イメージ 1
イメージ 2彼の自己批判は増大していきました
イメージ 3ついには交響曲第八番の総譜を-
イメージ 4焼き払ってしまったのです
イメージ 5完成していたのに・・・
イメージ 6戦争中の1942年だと思います
イメージ 7「焼いてしまったのよ」と-
のちに夫人が語りました


[2009-3-26]