森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

いくつかの場面:沢田研二ライブ

2008年12月27日にNHK総合で放映された「沢田研二ライブ」を見ました。

私は沢田研二の何曲かをカラオケの持ち歌にしてますが熱烈なファンというわけでもなく、彼の全盛期が去ってテレビで目にしなくなってからは時々ニュースで近況を知るくらいでした。復活の際は太ってしまった姿にがっかりしたものです。

今回は「沢田研二ライブ 人間60年ジュリー祭り」・・・還暦です

体型については多くを語りますまい。復活のときよりは締まってますが、それでもやはり昔のかっこいいジュリーのようなわけには行きません。

一方歌については、彼は声域が結構高いのでクラシックのテノール歌手の例からかなり悲観的な覚悟を持って見始めたのですが、こちらはいい意味で予想を裏切って素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。

もちろん、声の伸びは期待すべくもありませんが、要所の音程は高い低いに係らずキッチリとキめてますので、歌いまわしのブレが全く不安に聴こえません。音程やリズムの不安は全くありませんでした。これぞ、本物のシンガーの矜持!

また、ベテランは歌を歌い崩してしまう事が多いものですが、彼はそんなことはありませんでした。「このサビはこう歌えばいいのさ」というような姿勢は微塵も見られませんでした。

しかし何より感動したのは、なんと表現したらよいのか、眼力とかオーラなどと同じような、年季が刻み込まれた声そのものの力が、それ自体で多くを語ってくれるような、素晴らしい境地に達していたことです。


そしてそれは、「いくつかの場面」という歌を歌い始めたときに起こりました。

人生のいろいろな場面を語り、「またみんな集まっておいでよ」というような意味の歌詞です。

あの、いつもギラギラした自分を放射するばかりだった沢田研二が、感極まって目に涙を溜めて声を震わせながら歌ったのです。泣き崩れてしまうのではと思ったほどです。

彼のような強気一辺倒で前しか見ない人でもやはり、積もる思いが逆流して押さえられなくなるのだ・・

それはまた、彼が歌詞を噛みしめ慈しみ、心を開いて歌っていることの証でもあります。現にその歌い方はまるでシャンソンの「語り」のようでもありました。ただし歌唱法としての語りではなく、本物の心と声の力によるものです。

彼は「昔は昔」として過去のヒット曲を歌わないので有名です。今回はその封印を解いての全80曲歌いきりのマラソンライブでした。
還暦を迎えて人生の中締めを行なう様な気持ちでもあったのでしょうか?

私も熱い気持ちで満たされました。
最近のジュリーはどうなっているのか?と軽い気持ちで録画しただけだったのですが、こんな気持ちにさせてくれるとは予想していませんでした。

あなたは本物のシンガーです。ありがとう、ジュリー