森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

諏訪内晶子のシベリウスを聴き直してみた


12月14日の放送のときは深夜だというのに録画しながらリアルタイムで聴いてしまったのだけど、実はあまり良い印象ではありませんでした。

のっけから弓がすべるような音がして不安を感じさせました。
そして音程が後から付いて行くようなポルタメントだし、G線のハイポジションは左手が間に合わなくてビブラートで帳尻合わせをしているように聴こえます。
アシュケナージの粘っこいテンポに合わせる都合もあるにせよ、今までの諏訪内さんからは聴いたことがないようなマッタリ感です。

以前、ストラディバリウス弾きが何人も登場して音色を競う、という企画で(Age of Stradivarius 2003/11/28)諏訪内さんのずば抜けた演奏能力は確認済みなので意外な感じです。その時は樫本大進さんを含めわざわざ海外からやってきて、「こんなに差を見せ付けられてしまって踏んだりけったりだなあ」、などと隣席の家内と囁き合っていたほどです。

しかしそこは私のこよなく敬愛する諏訪内さんなので気を取り直して「本聴き」をしてみました。

レコーダーとヘッドホンアンプを直結し、この演奏といろいろなヘッドホンと相性を確認して今回はAH-D5000を選択。

冒頭の頼りないタッチはやはりそのままですが、驚いたことに音程の後追いはほとんど感じられずむしろ、か細い倍音域で表現を繰り広げていることがわかったのです。

彼女の演奏の特徴はバイオリンの音を決して殺さず、どんな高音も弱音もコシのある鳴らし方をする、そして音質的な破綻をさせない、というところにあります。そこで、「もう少しエモーションの幅を聴かせて欲しい」という、バイオリンという楽器に多くの人が望むある種の「なにわ節願望」を呼び起こす、という面もあるところです。

しかし今回、彼女のバイオリンはものすごく繊細な倍音「泣いて」いました。松脂のグリップが抜けてしまうすれすれまで行っています(しかし、本当に、ヤニのノリが悪くなかっただろうか?)。
以前なら終始ツヤツヤとした音で弾いていたでしょうが、今回は音の質感が消失するまでのソットヴォーチェを聴かせてくれました。このデリカシーはバイオリンに少しでも触れたことのある者なら、音楽的好みを度外視して感嘆せざるを得ないのではないでしょうか。

これは、我が家のリビングのスピーカーでは到底再生できないレベルでした。ホビールームのスピーカーでもダメだったかもしれません。

たしかに、あまり調子が良さそうではない面も感じられますが、諏訪内さんの表現レベルが新しい領域に入ってきていると感じられました。
そして、退屈することなく、ちょっとハラハラしながら最後まで堪能できました。

彼女のいろいろな発言を聞いているとどうもいまだに「学ぶ」という姿勢でいるような印象を受けます。もし今回の私の印象が気のせいでないとしたら、今後は音楽的な深まりと共に「自己表現」が聴けるでしょう。そして、少しだけ彼女の「汚れた音」も聴きたいですね。使いどころがよければ美に貢献するのですから。