森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

オペラ ドクター・アトミック


指 揮:アラン・ギルバート
演 出:ペニー・ウールコック
出 演:
 ロバート・オッペンハイマー:ジェラルド・フィンリー
 エドワード・テラー:リチャード・ポール・フィンク
 ロバート・ウィルソン:トーマス・グレン
 キティ(オッペンハイマー夫人):サーシャ・クック
 グローヴス将軍:エリック・オーエンズ
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ドクター・アトミック。原爆博士。不穏な題名のオペラです。
「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマー博士とマンハッタン計画に携わる人々の数日間を描いています。

ストーリーといえるものはなく、実在の科学者たちの実際のセリフと詩歌を引用したつぎはぎのような印象を受けます。

表現しているものは純粋な科学的成果への野心、政府や軍との軋轢、宗教心、そして大量殺戮とそれに加担することへの恐怖。
ストーリーなしのドキュメンタリータッチでそれを表現していると考えられます。

第一幕ではなりふりかまわず計画を推進するオッペンハイマーが憎らしく感じられます。
投下目標として適切な日本の都市の名が次々と挙げられます。

"Kyoto is AA target."「京都はダブルAの投下目標だ。日本の知性の中心地だから。」
心理的な効果を高めるためだ」

"Japan must have any warning!" 「日本に投下予告をすべきだ。」「日本の使節団を実験に招き幸福のチャンスを与えるべきだ。」
「日本人に何が判る。警告は必要ない。」
心理的な効果を高めるためだ」

無人の砂漠で実験すべきだ」
「軍需工場がいい。たくさんの労働者がいるし、住宅街に取り囲まれている。」
心理的な効果を高めるためだ」

アメリカは人道的な国なんだ」
「作戦を決めるのは科学者の役割ではない」

上層部の意向を伝えるオッペンハイマーの言葉が、オッペンハイマー自身の意図のように感じられます。

「数カ所への同時攻撃も可能だ。政府に進言しよう。」これはオッペンハ
イマー自身の言葉。


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妻とのプライベートシーンで人間的な面が描かれますが、結局それも彼のなかでは優先度の低いものであることが示されます。

(それにしてもこの時代の女性のメイクはキュート!)








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その後ジョン・ダンの詩を借りた神への告白を通して葛藤が吐露されるのですが、行動を改めることはありません。





人類最初の原子爆発であるトリニティテストで幕を下ろします。

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原爆により大気中の水素や窒素が連鎖反応を起こし地球全体が焼きつくされる可能性も検討されたそうです。

「計算上は無い」
「初めての物理現象だから確かなことはわからない」
そんな状態で実験が行われました。
恐ろしいことです。


音楽はシェーンベルクのような部分と通俗的なスクリーンミュージック的な部分が同居しているのですが不思議と違和感なく、音色が多彩で音形の引き出しも多いようで退屈することはありませんでした。
アリアも美しく書かれています。

しかし物理学的な会話と恐怖・自責・怒り・諦めそして妻の非難やネイティブアメリカンのメイドによる呪詛のような歌の連続でひたすら沈痛な気分がクレッシェンドしていくだけの重苦しいオペラです。

美しかったしインパクトはあるけど、これなら演劇でやっても良かったのかな?とも思えます。


オッペンハイマー博士を演じたジェラルド・フィンリーは複雑な役柄を見事に演じていて、歌も素晴らしかったと思います。
ただわかりやすい音階の歌ではないので歌手の実力が計りにくいということはあります。

妻役のサーシャ・クックの美しさがまるで砂漠のオアシスのようでした。歌も立派でした。

アメリカは人類で初めて原爆を製造・使用し、現在でも理由があれば実際に使用する、と明言している国です。
そして公式には広島・長崎への原爆の投下は完全に正しかったとしています。

その国の文化の中心地でこうした内容のオペラが上演されることはアメリカ民主主義の懐の深さを示しているとも言えるかもしれません。

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オペラはトリニティテストで終わり原爆投下は描かれませんが、最後に
"give me water"
 の字幕とともに日本語での「ミズヲクダサイ」というナレーションで終わります。

私の中ではここから林光のカンタータ「原爆小景」に繋がってしまいました。






[2012-9-2]