ヴェルディ:ラ・トラヴィアータ (椿姫) 映画版
監督・脚本:フランコ・ゼフィレッリ
指 揮:ジェームズ・レヴァイン
合 唱:メトロポリタン歌劇場合唱団
出 演:
ジェルモン=コーネル・マクニール
出版:UNITEL CLASSICA
1985年
それをうっとりと見上げる運び屋の少年は在りし日の夜会の情景を思い浮かべます。
そして何気なく足を進めた先の間には病床のヴィオレッタが。
起き上がり広間の様子を窺うヴィオレッタ。
その目に賑やかな夜会が蘇ります。
出だしとラスト・シーンが繋がっている演出です。
ストラータスはそもそもが華奢な容姿で、豪華絢爛なセットと役者陣の中では普通にしていても病弱な雰囲気が漂っています。
高難度のアリアも問題なく歌っていますが華奢な女性が頑張っているように聴こえ、歌だけを芸として聴けば少し余裕のなさを感じなくもありません。
しかし脆弱な栄華を表現しているこの映画の中では無理なく受け入れることができると感じました。
それにしてもドミンゴが若い。
(私はこれを公開時に映画館で見ましたが、彼を若いとは特段感じませんでした。こちらも歳をとったということなのでしょう。)
声は完成しているし、歌はしなやかで後の凄みはあまり無いけど全く安心して聴ける歌唱です。
それは、計らずも「世間知らずのお坊ちゃん」という役柄にも相応しいものです。
音楽と歌唱の基調は《乾杯の歌》で十分にわかります。
全く急がず焦らず、張り上げず。
『今、この時の享楽』に身を委ね、ゆとりの気持ちで柔らかく気品高く歌いあげています。
この二人が演目の要素である情熱と初々しさと退廃を十分に体現していました。
郊外の美しい田園風景の中でのソフトフォーカスの映像など、舞台では味わえない叙情的な演出もたっぷりで魅せられます。
バレエシーンも素晴らしいものです。
この時代の仮面舞踏会(どんちゃん騒ぎの宴会)がどんな猥雑なものであったかが表現されています。
ボリショイバレエのエカテリーナ・マクシーモワとウラジーミル・ワシーリエフ夫妻のダンスは映画全体の流れが引き締まるほどの完成度です。
ラストシーンは冒頭シーンの後。
ところが彼女が最後の命を燃や尽くした後、そこは全ての調度品が持ち出され空っぽになった広間。
幻想の中で孤独に絶命するヴィオレッタ。
アルフレードは戻っては来なかったのです。
この歌唱にも演出にもセットにも、ゼフィレッリの描こうとする贅沢さは見た目だけのものではなく、熟した文化とそれを支え享受する精神にまで貫かれているとういことがよく表現されています。
惜しむらくは二人の唯一の障害となるジェルモンで、重要な役ですので潔癖さと善良さがもう少し高貴に演じられていたらなお良かったと思います。
しかし全体的には非常に優れた、感心も感動もできる傑作だと思います。
[2011-9-19]