カルロス・クライバーを見直す : 音質に気付かされること
カルロス・クライバーを見直す
(音質に気付かされること)
物凄く勢いがあって流麗で活き活きとしている。
どこまでも豊かな表情を見せ続けてくれる快感はあります。
けれども言いようのない違和感を感じるのです。
例えば、とても美しくて陽気な人とデートをしていて楽しいのだけど、その人は快活で移り気でどんどん自分のペースで歩いて行ってしまう。
時にはこちらを向いて待っていて欲しいのだが。
そんな状況を想起してしまいます。
指揮を見ていると良く分かりますが、音楽の縦の線を気にするということはあまり感じません。
また、休符に気合いを込めるということが全くありません。
ドキュメンタリーで彼の指揮をじっくり見ていると旋律線を指でつまんで上げ下げするような気分になり、身体でリズムを取ることに気が向かないのだ思われます。
しかしそうした好みに反した音楽でもついつい聴いてしまうのはその美点に時々浸りたくなるからです。
するとどうでしょう。
その活き活きとした表情が至上の愉悦に感じられて、もっと浸っていたい、もっと聴き進めたいという欲求を強く感じました。
まるで菜の花畑の真ん中で心が宙に浮くような気分になった時のようです。
やはり聴きながら手や身体でリズムを取ると置いて行かれる事実には変わりありません。が、その愉悦に心を奪われてしまい、縦の線や休符などの違和感に思いを致すことがなくなったのです。
しかしAH-D5000ではやはり高音楽器が薄っぺらい音に聞こえてしまいます。
そこでヘッドホンをHD-650に戻してからも、その感覚を惹起することができて、クライバーを快く聴くことができるようになりました。
クラシック音楽好きの中には「オーディオ機器なんて大した問題ではない」という人がいます。
私はそうは思いませんでした。
音楽家たちがどれだけ心血注いで音を磨いているというのでしょう。
音質が語る感覚美は決して虚飾などではないし、音楽家は音色でも雄弁に語っているのだと思います。
だから、私は彼らの真の言葉を聞くために音質にこだわりたいと思っています。
手持ちのディスクからいくつか AH-D5000 で聞きなおしてみました。
交響曲第八番 D.759 《未完成》
1979年
細かいリズムが心地いい曲ですがクライバーの指揮ではむしろ、細かい波が心地いい、と感じます。
繊細にして華麗。たくさんの小さな命が踊っているような演奏です。
交響曲第八番 D.759 《未完成》
冒頭から軽やかで、デュオにソス的な表情が全く感じられません。
バイオリンとコントラバスが対決するような追いかけ部分も、仲良く呼応しているような表情。
クライバーは、悲しみを心の奥底に閉じ込めていつもアルカイックな微笑を浮かべているようです。
特濃のデミグラスソースのようなベームの演奏に親しんだ私にとってはかなり薄味な演奏。
しかし、何の価値も感じられなかった演奏だったのに、細部の表情の美しさと情景描写的な熾烈さで惹きつけられます。
クライバーにはその色香は無いようです。
やはり突き抜けた才能であったのでしょう。
その時に聴いていればもっと早く好きになれたかも知れません。
t:クメント
a:ルートヴィヒ
1969年6月7日 ウィーンでのライブ録音
やけっぱちさが伝わってきません。
呑むと強気になるタイプという感じ。
本人が没入する前にクライバーにリードされてしまうという印象。
ただし、クレンペラー盤では繊細に過ぎて私には弱々しさが感じられるので、こちらの歌唱も捨てがたい印象です。
クライバーの表現は流麗で雄弁。
一つの歌をオケ全体で歌っているかのような聴きやすいもので、その分複雑な感情と自然描写の綾はあまり聴くことができません。
たいへん整っていて美しい演奏ですが、あまり得るものが無いとも感じてしまいます。
孤独を噛み締めることはできないが感覚美に満ちた若々しい演奏。
ウェーバー:《魔弾の射手》序曲
1979年12月16日 ウィーンでのライブ録音
ウェーバーは粘りもコクもあり、かつ持ち前の快活さのある快演。。
モーツァルトも華麗なだけだ無く柔らかく包みこむようなニュアンスが秀逸。
ただ録音のためか、細部の突き詰め方がいつものクライバーほどではない印象があります。
その分ダイナミックの幅が大きな表現は聴き応えがあります。
これをいい音で聴きたかったと、惜しまずにはいられません。
ライブ録音の海賊版なので決して良い音質ではありませんが、ウィーン・フィルのビブラートは極上のカンタービレを聴かせてくれますし、倍音があまり聴かれない録音でもなお音の芯が美しく響く極上のオーケストラだと分かります。
第三・第四楽章も推進力と重量感がうまくバランスして、十分な悲壮感のある演奏です。
良く独墺系という表現がありますが、墺伊系とでも言いたくなるような、重量感と言ってもどこかヴェルディの面影を感じるようなニュアンスですが、身につまされる音楽です。
文句なしに名演。
ライブということで、ホールでこれを聴いていたならどんな恐るべき体験であったろうとさえ思えます。
1982年2月28日 ウィーンでのライブ録音
《驚愕》は本当に驚愕する演奏。
このいつものハイドンが豊かで重厚に響きます。
細部を能弁に磨き上げ全体をゆったりと構えることで音の伽藍がハイドンらしからぬ威容となって迫ってくる様です。
ベト七は、今回クライバーを見直した私でもちょっと付いていくのが難しい演奏。
このクライバーという人は、音楽の骨格としてきちんとしたリズムがなくても気持ち悪くないのか?と、以前からの疑問が蘇えってきます。
しかし私も実演では、あり得ない程高速の第七に興奮したことはあります。
この人はきっとそういう資質なのでしょう。
私は食わず嫌いというわけではないので幸いこうやってクライバーのディスクをいくつか持っていました。
たまたまテレビでドキュメンタリー番組をいつもと違うヘッドホンで聴いた、という事がキッカケで彼の魅力を感じることができ、手持ちのディスクも楽しく聴き直すことができてよかったと思います。
[2011-4-29]