CD アファナシエフのシューベルト 《幻想ソナタ》
《幻想ソナタ》
ピアノ:ヴァレリー・アファナシエフ
1992年10月22~24日
スイス、ラ・ショード・フォン、ムジカ・テアトル
発売元:コロムビアミュージックエンターテインメント株式会社
この恐るべきソナタを私が初めて聴いたのは寝ている最中でした。
正確には夜中、寝入った後でタイマー予約のFM録音が始まり、音量を絞っていなかったため始めは心地良い子守唄のように、次には地獄の亡者の甘い誘惑のように、心をゆすぶりながら私を目覚めさせたのです。
それ以来このソナタは私にとって特別なものになりました。
その時のピアニストはアシュケナージでした。
そのとてつもないテンションには二つのものがあって、一つは物を静止させるテンション、静まった水面を支えるテンション。もう一つは、その静けさに穴をあけ、地獄へ引き入れようとする奈落の重力。
別の言い方をすれば、全てを受け入れ諦観に身を任せようとする、平安の緊張。そして現世の幸福を渇望する情熱の緊張。
このソナタは、無慈悲に一定したテンポで聴き手の心理を羽交い締めにし、諦めと渇望の間を無限に引きずり回して行きます。
アシュケナージにそんな意図があったかどうか、普段の彼の演奏からはちょっと疑わしい気もしますが、寝ていて無垢であった最中の私の心にはそのような音楽に聞えたのです。
アファナシエフの音楽性はまさにこの曲にうってつけに思えました。
評判もまさにそういったものでした。
しかしこの演奏を聴いてやや失望したことを告白しなければなりません。
しかしこのソナタの第一楽章、疑問を感じました。
静止の緊張時は良い。
激情の緊張時、彼の身体と指が『普通の』テンポに戻ろうとするのを一生懸命にこらえているように、ソワソワした間の伸び縮みに、すっかりこちらの緊張の糸は切れてしまいました。
例えて言えば、一緒に展覧会の絵を見ていた相方が次の絵へ視線を送ったり、足を進めようとして止まったり、実は目の前の絵に興味がなく釘付けにはなっていない事が分かってしまったような、置いてけぼりの感じを受けるのです。
彼のとったテンポは彼の身体が自然に刻んだものではなく、志したものであることが明らかです。
残りの3つの楽章も秀演ですが名演とまでは言えません。
対位法的動きやリズムの沸き立つ感じは、低速で柔らかい音色でもしっかりと表現しなければなりません。
第二楽章の叙情性を引き裂くフォルテシモの打鍵は甘えを許さない堅固さでなければならないのに、どこかそれを許すような緩さがあります。
ルプーのようなリリシストとは違うはずのアファナシエフに、同じような緩さを感じてしまったのです。
(ルプーもこの曲を得意としていました)
この録音時点で40台半ばのアファナシエフ。
ものすごく哲学的な曲目解説を書いていますが、彼の考えほどには音に凄みが宿っていないようです。
それにしても、アファナシエフの音は柔らかく重量感もあり美しいものです。
逆に叙情的に演奏したら、そのスタイルでの名演になったでしょうに、もちろん彼はそんなことはしないでしょう。
[2010-12-31]