森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

劇団東演 《カース叔母さんの愛》


イメージ 1
カース叔母さんの愛

作:ブライアン・フリール
訳・演出:松本永実子

東演パラータにて























アイルランドの家を飛び出しアメリカで生きてきたカースが生活の基盤を失い52年ぶりに故郷へ帰ってくる。
血を分けた弟ハリーは喜んで受け入れようとするが妻アリスとの葛藤からカースを老人ホームへ送り込む。
そこで、過去を極端に美化し虚構の世界で生きる老人たちとの生活へ反骨の姿勢を見せるカースだが、最後には家族との距離を受け入れ、『現在』も未来も無い、虚構の過去に想いを寄せる老人の生活を受け入れる。

演出家は、それをハッピーエンドだという認識で演出したそうです。
壮年期にある私は老人のモデルとして、上を目指さず出来る範囲で楽しむ趣味に勤しむ悠々自適の老後を夢見るのですが、それを許されない人たちの止むに止まれぬ人生の逃避を描いています。

そうした現実が世の中のあちこちにあることは想像できますが、それを描くことで何を訴えようとしたのか。私にはそれがこの日の疑問でした。

それは、十分に可能であると思われる老後の生活とはかけ離れており、感情移入が難しかったというのが正直な感想です。

カースの弟ハリーは、カースを愛していて十分に受け入れる気持ちがあるのに、苦渋の選択として老人ホームへ送らざるを得ない。そういう演出指示だったそうです。
しかし、演技はともかく台本上は妻の立場とカースを秤にかけるような葛藤は描かれておらず、妻の側に立つのが、たとえ辛くても当然の前提としての行動に思えました。

だから、気の毒なカースに対して、観客としての眼差しを代弁する登場人物を欠いていた印象があります。

『三幕の喜劇』と題されていますが、到底喜劇には感じられない、重い演劇であったという感想です。

イメージ 2

パラータの舞台はとても狭いのですが効果的な装置と演出で、過去と現在をせわしなく行き来し錯綜しがちなストーリーを良く見せてくれました。
そしてライブとしての迫力は、同じ劇団のサザンシアターや本多劇場での公演とは比べものにならないほど濃密なものです。

ベテラン俳優陣が本当に素晴らしく、これぞ演技と感じられる、俳優本人の存在を感じさせない演技でした。


[2010-9-11]