森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

CD評:ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集-5(イリーナ・メジューエワ)

イメージ 1ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集-5(イリーナ・メジューエワ
ピアノ・ソナタ 第10番ト長調 作品14の2
ピアノ・ソナタ 第18番変ホ長調 作品31の3
ピアノ・ソナタ 第23番ヘ短調 作品57『熱情』
ピアノ・ソナタ 第28番イ長調 作品101
ピアノ・ソナタ 第30番ホ長調 作品109
ピアノ・ソナタ 第31番変イ長調 作品110
録音:2009/1,5,6,11,12
発売元:若林工房



ここに収録されているうち、23・28・30・31は別のライブ録音で持っていますし、28・31についてはここでも感想を書きました。
中でも31番はこの先彼女がどこへいくのか想像ができない程の集中度だったので、このCDを聞かないわけには行きません。
CD メジューエワ バッハ、ベートーヴェン、シューマン
CD メジューエワ シューベルトPソナタ16 ベートーヴェンPソナタ28
CD メジューエワ シューマン交響的練習曲 ベートーヴェンPソナタ31

第10番ト長調

まず第10番は第四集の7番や15番と同様、清々しく朗らかな叙情を存分に味あわせてくれます。

メジューエワ初期の録音に《天使の夢》と題されたアルバムがありますが、その頃のメジューエワは謙虚で優しく汚れの無い音楽に少しノスタルジーを載せて聴かせてくれていましたが丁寧すぎる音楽運びで、強く心に残るのはバッハくらいでした。
その彼女が急速に進化して強く深く表情を刻むようになった今、その純粋培養的な資質が最大の美点として開花しています。

裏腹な言葉を結びつけなければなりませんが『強靭な優しさ』とでも呼んでおきたいと思います。

第18番変ホ長調

第18番は変ホ長調なのにAsEsFの低音にCFFという旋律が載ってきて、6小節目まで主和音が鳴らないと言う不思議な出だしで、まるでフォーレかフランクが鳴り始めたかと錯覚するような曲です。
ぶっきらぼうに弾くと意味不明な曲になってしまいますが、スクリャービンメトネルが得意なメジューエワですから、この置き所がよくわかっていてとても魅力的に響かせています。

第二楽章はまるでスカルラッティソレールの様に陰りの無い生命力に溢れていて、思わずシンクロしてしまいます。ベートーヴェンを聴いてやる気が湧いてくるというのも何か珍しいですね。

第三楽章は疲れた子供に優しく掛布をかけてくれるような表情の曲です。あまり芸術に男性女性と言いたくはないのだけど、彼女がこういう曲で幸福に満ちた音を鳴らすのを聴くと女性らしい無償の愛というものを感じてしまいます。

第23番ヘ短調『熱情』

第23番は彼女の超絶技巧が聴けます。
以前の彼女はすべての音を噛んで含めるように鳴らすためヴィルトゥオジティーを嫌っていたように思いますが、前回のライブ録音の23番やメトネルからは惜しみない技巧を披露してくれていました。
しかし楽譜を見ながら聴いているとベートーヴェンが仕掛けた様々なこだわりを驚くべき執念で具現化しているのが判り、決して気分を高揚させて弾き飛ばしているのではないことがはっきりと分かります。

実は(このCD全体に言えることですが)楽譜を見ながら鑑賞すると彼女の行なっている仕事量を想像してしまい、その余りの大きさにに圧倒され非常に疲れてしまいます。だから『音楽を味わうために』楽譜を手放して二回目の鑑賞をしなければなりませんでした。

第28番イ長調

第28番は以前の録音のように表情過多を感じさせず、素朴な美しさと流れの良さを確保した上で格調の高さや大らかさを備えた演奏で、私のこの演奏のベスト盤になりました。

第30番ホ長調・第31番変イ長調

第30番・31番は恐らく彼女の持てる力の全てを開放していると思います。
意志の強さ、情念の深さ、志の高さ、感性の幅広さ、楽譜再現の精密さ。あちこちで相反する要求を突きつけてくるこれらの要素を異様なストイックさで追求しています。

31番は前回録音の病的なまでののめり込みはやや後退したものの、もっと大きい運命的なうねりが感じられるようになりました。
鍵盤に沈み込んでしまうのではないかと思えるほどの沈痛さが、もっと広い世界へ向けたいたわりや愛を加えて普遍化したように感じます。
いわゆる鬼才的な演奏から巨匠的な演奏に少しだけですが変わったように感じました。

彼女の31番は3つめですが全てに感じるのは現世の魂が天上につながる感覚です。魂のヴァルハラとでもいいましょうか。そしてメジューエワは使命を担ったワルキューレと言えるかもしれません。


このCD全体に感じることですが、彼女から感じられた慎重さを乗り越えて強さを開放していること。そして、感情移入のためにフレージングを一呼吸溜めて流れが淀んでしまう癖が欠点から長所と呼びうるレベルに改善していることです。

以前はメジューエワの演奏に共感できない人からは恐らく『おとなしくてつまらない演奏』か『クセのある演奏』か、聴く曲目によってどちらかの評価を受けていたことと思いますが、どちらも完全に克服しました。

冷静にCD評を書いてしまいましたが、本当のことをいうとメジューエワはもう私の筆舌には尽くしがたい彼方へ行ってしまい、ただ音楽芸術の真髄を分けてもらう幸福に感謝するしか無い、というのが正直な心境です。


[2010-4-18]

2010-4-24 補筆

31番の前回録音を病的なまでの痛切さと表現しましたが、きょう自分自身がそのような心境でこの新録音を聴くことになってしまいました。
タッチの一つ一つがなんと慈愛に満ちていることでしょう。
何かに対する痛恨の念と、限りない慰めの優しさ、その両方が昇華して無償の愛で満たされていてるのを感じました。
ワルキューレの様と書きましたが、マドンナの間違いでした。