森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

マスネ 《タイス》 - メトロポリタン歌劇場

マスネ 《タイス》
管弦楽メトロポリタン歌劇場管弦楽団
バレエ:メトロポリタン歌劇場バレエ
合 唱:メトロポリタン歌劇場合唱団
指 揮:ヘスス・ロペス=コボス
演 出:ジョン・コックス
出 演:
タイス=ルネ・フレミング
アタナエル=トーマス・ハンプソン
ニシアス=ミヒャエル・シャーデ
アルビーヌ=マリア・ジフチャック
2008年12月20日 メトロポリタン歌劇場
NHKの放送を録画視聴
(METライブビューイング、ユニバーサル発売のDVDと同一ソース?)


《タイスの瞑想曲》は物心付く前から昼寝の時間の音楽として聴いていて、私が他の何にも増してクラシック音楽が好きになる素地になった曲です。
しかし、オペラ全曲というのは観たことがありませんでした。
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音楽は間断なく優美でカラフルです。美しいトーンというものを、名人になるとこんなに持続的に尽きることなく生み出せるものかと、感心するほかありません。

歌があまりストレートなメロディーをなぞらず、このサウンドの中をたゆたうように記憶にとどまりにくい音型を歌うので、歌手の名技をどう味わえばいいのか戸惑う人も多いと思います。
フランス映画の中の会話のように、核心の周りをふわふわと浮ついたように言葉の抑揚とリズムを楽しむ、という風に聴こえます。

そして、歌も含めた音楽全体が旋律ではなくトーンとその変化で状況を語るので、ドイツやイタリアの歌のように歌のみが饒舌なってはいけないもののように感じます。
おそらく、どんな厳しいシーンや情熱的なシーンでも背景となるカラフルトーンの中をストレートでなく洒脱にニュアンスたっぷりに歌わなければ、全体の調和をスポイルしてしまうでしょう。

普通のドイツやイタリアのオペラやビゼーよりはドビュッシーのつもりで聴き始めたほうがいいようです。


その点を評価すると今回のタイトルロールのルネ・フレミングはどうだったでしょう?
彼女が現代最高の歌手の1人であることは周知の事実なので、それを踏まえて評価します。
このタイスでは歌が余りに饒舌で大分音楽からはみ出してしまっているように感じました。
私は昨年のリヒャルト・シュトラウス《四つの最後の歌》でも彼女の歌いぶりがあまりに気力満々で、人生の最後を儚く彩る夕映えにそぐわないと感じたのですが、それと同じことをこの《タイス》にも感じました。
また、このようなつじつまの合わない人格を演じるとき、彼女自身の知性的な持ち味を出さないでいることが難しいのだと感じます。

トーマス・ハンプソンも素晴らしいバリトンですが、重厚で安定感があって歌唱の安心感はあるけど、情熱に負けてしまうのがうなずけるような若さと頼りなさは余りありません。
もちろんそれは彼の持ち味とは違うし、マスネがこの役にバリトンを配したことから、あまり情熱に振り回される役柄とは考えていなかっただろうけど、ハンプソンは少し重厚すぎないか?と感じるのです。
そしてやはり音楽的に全体の一部(例えばオーケストラの中のオーボエのような)としての調和もやや足りなかったと思います。

二人ともフランス語の心地よい柔らかさがもっと出せていたら最高だったと思うのです。


よく言われることですがやはりワーグナーに似ていると感じました。
重厚さの他に、『歌とオーケストラ伴奏』、ではなく両者からみ合った音楽構成という点です。

第2幕のクロビルとミルタールの二重唱がもっとも普通のアリアという印象でしたが、それも歌詞のないコロラトゥーラを被せて二人の歌手が主役というイメージを遠ざけています。
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第2幕の第1場と第2場の間奏曲である《瞑想曲》。コンマスのデイヴィッド・チャンのソロは繊細かつ豊かなニュアンスで堪能できました。おそらく彼が生まれる前からこの曲を愛している私が満点をさしあげましょう!

修道院長のジフチャックは《蝶々夫人》ではスズキを堅実に演じていましたが、ここでもほんの少ししか出番がないのに存在感のある安心感を与えてくれました。
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不満も書きましたが、今サウンドだけを流してこれを書いているのですが、いつまでも浸っていたいと思わせる美しさです。
舞台美術も、クリスチャン・ラクロワの衣装も、演出も、それはそれは美しいのだけど、この音楽の美しさと呼応していません。
もっとも4世紀のアレキサンドリアという舞台に対して音楽が甘美過ぎるのかもしれません。


[2010-2-27]