森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

カテドラルでのレクイエム

レクイエム - カテドラル
2009-11-17

日本合唱指揮者協会が主催する教会シリーズの八回目です。
今までは典礼の形式をふまえたミサをやっていたのですが、今回はレクイエムで演奏会形式です。
神父さんも来ませんでした。

《カテドラル》
東京で《カテドラル》と言えば、関口協会の大聖堂-《東京カテドラル聖マリア大聖堂》を指します。
丹下健三氏の作で、上から見たとき十字架の形になっているユニークな建物です。
イメージ 1
今日はあいにくの雨でした。プロテクターの水滴が写り込んでしまいました。

内部は撮影禁止ですが、特に写す対象のない、コンクリート打ちっぱなしでステンドグラスもなく、全く飾り気のない空間です。(その静かな厳かさを写し取ってみたい、とは思いますが)

十字型の空間が上に向かって絞り込まれていくので、実際はかなりの広さなのですが立ち位置と目を向ける方向によっては窮屈な感じも受ける、独特の空間です。

東京大司教区の教会信者にとっては《中央》というイメージがあって、地元教会の更に上にある尊厳を感じる教会です。
ここでなにか行事があると地元教会の世話役さんたちがいなくなる、なんていうイメージもあります。

さしもの聖堂の響きも人いきれで
さて今日はレクイエムなのですが、たくさんの団体が交互にレクイエムの中の曲を歌いました。
伴奏はオルガンとピアノですが、聖堂のパイプオルガンは使用せず、ポジティフオルガン(移動可能なオルガン)を使用しました。

私はカテドラルにこれだけの人数が入ったところを初めて見ました。
フル展開のピュー(長いす)プラス、パイプ椅子がサイドと後ろにぎっしりで、それが満席になっていました。

これだけ人が入ると響きがいつもと全く違い、あの恐るべき反響が控えめなものになっていました。
コンサートホールと違いステージの背後に反響板はなく、実際上四方八方が反響版のようなものなので直接音が極めて少なく反響音ばかりなのですが、それがいつもは激しい音響効果となるのですが、今日は人の多さと空調音の思いのほかの大きさによって、音量を絞ったヘッドホンで聴くアムステルダムコンセルトヘボウのような印象です。

聖堂で『クラシック音楽』を聴く
演奏は玉石混交でしたが、教会の聖堂という場所でクラシック音楽のレクイエムを聴くのは初めてなので、考えさせられるものがありました。
「この厳かな空間で、生半可なカッコいい演奏なんてとてもできない。」
そんなことを感じました。

コルボのフォーレくらい敬虔で静謐でなければ。
やるならベームモツレクくらい、甘美さのない峻厳な音楽でなくては。

そんなことを感じたのです。
私は教会にはある程度出入りしていたのですが、クラシック音楽と結びつけてあの空間を感じることはなかったのです。
オルガン音楽は、クラシック音楽であっても教会音楽ですので違和感がありません。
でも、モーツァルトフォーレのレクイエムがミサで演奏されることはありませんので、本当の意味での宗教性を投影した聴き方をしていなかったのでしょう。

貴重な勉強をしました。


[2009-11-17]