CD メジューエワ バッハ、ベートーヴェン、シューマン
J.S.BACH パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826
BEETHOVEN ピアノ・ソナタ 第31番 イ長調 作品110
SCHUMANN 幻想曲 ハ長調 作品17
ピアノ IRINA MEJOUEVA イリーナ・メジューエワ
録音 1998/2月
BEETHOVEN ピアノ・ソナタ 第31番 イ長調 作品110
SCHUMANN 幻想曲 ハ長調 作品17
ピアノ IRINA MEJOUEVA イリーナ・メジューエワ
録音 1998/2月
学生は学ぶ立場であって、自我を押し出すことにある種のためらいがあるのは洋の東西を問いません。
ことに芸術の分野では、我を張りたいなら学生という身分を捨てていくらでもやりたいようにできるのです。
コンテストに出場するとなると、著名な音楽家や教授の推薦が要りますのでまた別ですが。
ことに芸術の分野では、我を張りたいなら学生という身分を捨てていくらでもやりたいようにできるのです。
コンテストに出場するとなると、著名な音楽家や教授の推薦が要りますのでまた別ですが。
3番目の先生は他の芸術にはあまり見受けられない、むしろ忌避される相手でもありますが、殊にクラシック音楽では音感の心理的力学を『普遍性』という、西洋人風に大げさにいえば『神の業』へ突き詰める結果、この学究的な練り上げが重要だと考えられています。
学生メジューエワはこの4つの要件を懸命な集中力でバランスさせているように見受けられます。
その結果流れ出た演奏はどのようなものでしょう?
こういう前振りでは、つまらない教則ような演奏を想像するのが普通です。
その結果流れ出た演奏はどのようなものでしょう?
こういう前振りでは、つまらない教則ような演奏を想像するのが普通です。
全ての音に対して完全に責任を持とうというような張りつめた打鍵コントロールで、しかも強打や突飛なアゴーギクは音楽のデリカシーを損なってしまうとでも言いたげな、慎重な感情表出。
そして、恐らく本人の努力に無関係な資質の現れである確固たるテンポ感。
そして、恐らく本人の努力に無関係な資質の現れである確固たるテンポ感。
出てくる音は何の衒いもなく、全てが収まるべきところに行儀良く収まってはいるが高純度・高精度な上に、不思議と深き淵より語りかけて来るような魂の声に溢れていて、ありきたりでない高い芸術に昇華しているのです。
バッハ パルティータ第2番 BWV826
彼女のバッハは周到に設計されたフレージングとアーティキュレーションで対位法の綾を解き明かすものですが、絡まった感性を交通整理してくれるよう物ではなく、愁いを帯びたウェットなバッハです。彼女の堅固なテンポ感とエモーションの配置バランスがバッハに最も良く現れるのだと感じます。先生に教わった音楽と言うレベルは遥かに超えています。
天性のバッハ演奏家だとの思いを確かなものにしました。
近いうちに書くと思いますが、レオンハルトと比較してみたいと思います。それだけ彼女のバッハは衝撃的なのです。
ベートーヴェン ピアノソナタ第31番 Op.110
このベートーヴェンは、まだ大きな森を探りながら歩くような遠慮を感じます。ベートーヴェンは強打を要求しているのにトロップ先生は心の奥へ染み入る様に、と言われたかは分かりませんが、そんな相反するニュアンスを彼女の自我が捌ききれていない部分を感じます。あるいは沈潜し切って表出力が弱まったのかもしれません。
しかし、深く慈しむような美しい音楽は心を打ち、数ある名演に埋もれるような平凡なものではありません。
もしもエッシェンバッハやピーター・ゼルキンや彼女自身の後の演奏を聴いていなければ屈指の名演としたでしょう。
シューマン 幻想曲ハ長調 Op.17
一音一音は粒立っていて強いのですが、アクセントが奥ゆかしいのでシューマンの移り気さが感じられず、美感を前面に表出した演奏です。私も始めは「学生の丁寧な演奏」と感じましたが、しっかりと聴き込むにつれあまりの美しさに溜息が出る思いがしました。
このロマン派屈指の名曲のもつ全てを満遍なく表現したら返って追及しきれないシンプルな美しさを際立たせてくれました。
やはり、もう少しノリのよさが欲しいというのも正直なところですが。
メトネルの演奏の推移から彼女がいかに大きく進化したかを知っていたので、この若い演奏が価値のあるものか少々疑問に思いながら購入したCDでしたが、幸福感を得られる満足のいくものでした。
[2009-8-21]