森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

《トリスタンとイゾルデ》 MET


演 出:ディーター・ドルン
出 演:
 トリスタン=ロバート・ディーン・スミス
 イゾルデ=デボラ・ヴォイト
 マルケ王=マッティ・サルミネン
 ブランゲーネ=ミシェル・デ・ヤング
 クルヴェナール=アイケ・ウィレム・シュルテ

METライブビューイング (映像演出:バーバラ・ウィリス・スウィート)

WOWOWの放送を録画視聴


3月18日に亡くなったアンソニー・ミンゲラへの追悼公演となっていました
ミンゲラといえば印象的で感動的だった蝶々夫人が思い出されます。


イメージ 1
トリスタンはベン・ヘップナーのカヴァーで急遽ベルリンから駆けつけたロバート・ディーン・スミス。

ゾルデのデボラ・ヴォイトとは稽古をしておらず、本番舞台が初顔合わせ(シカゴで別演目での共演はあったけど)だったそうです。

第一印象が『千代の富士と瓜二つ』。
第二印象も第三も千代の富士なので不謹慎にも笑ってしまいます。

ヘルデンテノールというより柔らかく温かいテノールで単独で歌っている限りは大変好印象です。

しかし屈強のデボラ・ヴォイトにはかき消されオーケストラからは突き抜けて来ず、従順な優男的トリスタンとなっています。

ただそれでも、私は肥満体のヘップナーよりは良かったと思います。
特にジェームズ・フランコソフィア・マイルズによる美しい事この上ない映画を見てからは、美しい音楽の渦の中心にいる美しくないカップルを見たくなくなってしまいました。


デボラ・ヴォイトは見た目がデボラ・ヴォイトだからあまりロマンチックな感じはせず、第一幕初っ端はおばさんが大迫力でおこっている様子。
しかし歌はむしろ可愛らしい声で親しみやすいので、なだめ役である侍女ブランゲーネのミシェル・デ・ヤングともう少し声質も気分もコントラストが欲しいと感じるところでした。

長丁場なので第一幕のイライラ感をストレートに歌うとノドが保たないのだとか。
それはそうでしょう。
この、対話というものが存在せず長大なモノローグを交代で歌い継ぐような作品は、最後まで立っているだけで超人です。

とにかくこのデボラ・ヴォイトという人は、全く力みを感じさせず聴き心地がよく大声量で歌いこみも豊か。本当に凄いと感じます。
イメージ 2
マルチ画面

左上:トリスタン
左下:イゾル
右上:舞台全景
右下:ブランゲーネ


舞台芸術の醍醐味はどこへ・・・








イメージ 3
サルミネンにやや疲れが感じられて、それがかえってマルケ王の思いやりと悲嘆を感じさせることになりました。






それにしても、無理なく3人がフレームインして表情もわかる位置取りなのですが・・・


舞台美術はライティングは美しいのですが異様な簡素さで、時々左右と上からフレーミングの枠が閉じてきて広間や甲板と小部屋を切り替えるという趣向です。

ところが映像化担当のスウィートさんがマルチ画面で遊びまくっているおかげで舞台空間というものがどこかへ消失してしまっています。

舞台芸能というものはドラマと舞台空間のダイナミズムが一体となって感興を与えるものだと思うのですが、マルチ画面だと3つや4つの構図と対峙せねばならず、頭ではわかっても感性でダイナミズムを捉えることは不可能です。

彼女は「舞台美術が単調で映像の工夫が大変だった」と言っていますが、何もせねば音楽と演出によって空間を満たす情念のドラマに引き込まれた可能性があったものを、全てを台無しにされました。

私にとってはこの映像化は全く受け入れ難いものでした。
ドルンは怒っていないのでしょうか?


レヴァインは《リング》ではなかなか壮大かつ活気に満ちていて良いと思ったものも、ここではまとわりつくような情念の表出が感じられずやや肩透かしの感がありました。


[2012-3-17]