CD:ショパン ピアノ・ソナタ第3番 & 幻想曲 メジューエワ
ショパン:
3つのマズルカ OP.56
幻想曲ヘ短調 OP.49
ピアノ:イリーナ・メジューエワ
発売元:若林工房
ソナタの3番。冒頭の16分音符が鳴り始めてすぐに驚きます。
色々な演奏で繰り返し聴いてきたこの出だしの5音。
メジューエワは「フレーズの塊で雰囲気を出す」というタイプではなく、精密なアーティキュレーションと音間の呼吸の積み重ねで表情を作り出すピアニストです。
ですからこの冒頭の下降音形も、勢いで弾き切ることはなく、一音一音をゆるがせにしないで、重くもなく軽くもなく、しっかりと形態と質感を保ってキラキラ輝く透明なゼリーのようです。
杓子定規ではありません。
しなやかです。
一音一音に、命が宿って存在意義を訴えてくるようです。
そして、強さと華やかさが十分に備わったのです。
夢見るような主題の最中にも、旋律が十分に立っている下で和声があでやかなグラデーションで変化していきます。
旋律と和声とリズムではなく、それらが渾然一体となって波打つビロードのように心揺さぶる変化を聴かせるのです。
なんと美しいショパン。
第二楽章も美しくメランコリーさえ感じさせるようなスケルツォ。
この人が弾くバッハにも感じるのですが、どうしてこの音系がこんなにウェットに響くのか?
このCDで私が一番感動したのは、この第3番のソナタの第三楽章です。
第三楽章は、ほのぼのとした明るい叙情が表現されることが多いと思いますが、ここでのメジューエワは、まるで敬虔な祈りを捧げるように演奏します。
聴き手の魂が浄化されるような気さえする感動的な演奏です。
しかしそれは、ただ静謐なわけではありません。
爽快感や開放感を求めるのが普通である第四楽章は、想像道理ですが、ホームランを飛ばすような快感はありません。
しかしアルペジオやスケールが高速で味のある粒立ちを紡いでいき、マシンガンではなくライフルの精密射撃の高速連射のようです。
終盤は左手の迫力は無くとも、右手の疾走感で背すじがにスリルが走り、左手和音が引き締めるといった演奏で、求めていた迫力から肩透かしを食った感じは全くせず、こんな種類の迫力というものがあったのだと、感心してしまいます。
最終和音は大砲の打ちっ放しのようではなく、全曲を導いてきた美の情熱に格調高いゴールを刻印をするような、精神の力強さを持った響きです。
実はこの後、ここ数年で最も感心したラファウ・ブレハッチの録画映像を見てみました。
この若者は決してカッコ良くて爽快な「力押し」をせず、ロマンに溺れることもなく、大人の品位と情熱と微妙なニュアンスの表出に長けた優れたピアニストだと感じていたのです。
ところがメジューエワの演奏を聴いた後では、それらの印象に間違いはないが、比べてはいけなかったのだと感じました。
画家の筆致や俳優の演技と同じように、資質や情熱とはまた違った次元にある埋めようのない求道の結果をメジューエワが獲得していることがはっきりと分かったのです。
マズルカは素朴な歌心が胸を打ちます。
それは舞曲でありながらまるで遠くの教会で鳴っているコラールのように、懐かしく心をうつ祈りが聞こえてくるようです。
なんというマズルカ。
なんというショパン。
続く即興曲も幻想曲も、名演です。
内省的でありながら力強くもあり、ブリリアントでいて柔らかい。
彫りが深いショパンです。
[2010-12-17]