森羅観照記

つれづれなるままに・・。当世ではそれを「チラシの裏にでも書いとけ」と呼ぶそう。

アイルトン・セナ 音速の彼方へ

アイルトン・セナ 音速の彼方へ
アイルトン・セナ財団公認 生誕50年記念作品

アイルトン・セナ・ダ・シルバ。
1994年5月1日、F1第三戦、サンマリノ・グランプリのイモラサーキットで事故により亡くなりました。
享年34歳。

セナのなくなる瞬間までの車の挙動が、テレメトリーデータとして記録されています。

セナはタンブレロコーナーに312Km/hで入って行きました。
ちなみにこの時のウィリアムズの車にはレギュレーション違反であるパワーステアリングが搭載されていました。

ハンドリングの異常を察知したセナは即座にスロットル開度を半分に落としますが、その0.2秒後には完全にオフにし、フルブレーキで減速を試みます。
車載映像ではステアを切っていますが、減速するためにスピンさせようとしたとも言われています。

しかしデータ上はステアリングにかかるトルクが全く変化せず、逆にそれを伝達する油圧が不可解な変動を示します。
トラブルがあったことは明らかです。

セナの懸命な減速は4.3Gとされています。
210Km/hまで減速したことが記録されていますが、一瞬タイヤロックしてしまうのでこの速度が本当に正確かどうかはわかりません。

セナが異変に気づいてから0.8秒の間にアクセル半開→全閉・フルブレーキ→シフトダウンという驚異的な操作を行い310Km/hから210Km/hまで減速しています。

彼が超人的な瞬発力で助かろうとしたのは明らかです。

彼の遺体には頭部の致命傷以外骨折は無く、身体にはあざの一つもなかったそうです。

サスペンションロッドが15センチ上を通過していれば、彼はピンピンしていただろうということです。


私はこのときフジテレビの放映を見ていて、現実感がわかずボンヤリしていました。
翌日以降徐々にセナを失ったことが理解されてきて、喪失感が次第に高まってきました。

私にとってセナは最後の年上のヒーローです。
セナは夢でした。
自分もサーキット走行をたしなむようになったのは当然彼の影響です。

彼を思い出して胸がうずき涙が溢れてくるのが10年以上も続きました。

このドキュメンタリーは彼を愛し、彼の全てを知ろうとしたファンにとっては、あれもこれも描かれていない。
ヨイショし過ぎで弱さを描き足りない。
などなど、物足りない面も多々あります。

しかし大画面で彼に再開でき、当時の熱い思いを呼び起こし、喪失と胸の疼きを思い出し、劇場のあちこちから聞こえるすすり泣きと想いを共有できた事で、十分に価値があったと感じられます。


[2010-11-14]